極真空手とは? またその魅力。

極真空手とは

空手道は本来、徒手空拳(素手素足)のみで身を守る格闘術として生まれ、長い歴史を持っています。この「身を守る」ということは人を危めることにもつながるので、他に類を見ない精神面(武道精神)の厳しさがあります。
極真とは「武の道においては千日をもって初心とし、万日をもって極みとす」という武道の格言から発した名称です。完成はないと言われるほどの、厳しく険しい武道の真髄を極める意です。

極真空手は創始者である大山倍達が寸止め空手全盛の中、初めて直接打撃を当てる実戦空手として立ち上げました。
極真空手の魅力は何といっても「一生懸命稽古し鍛えることによって勝負の結果をはっきり出せる」これが一番の魅力です。試合で負けた屈辱というのは、実戦空手のならではの”悔しさ”で、空手本来の”怖さ”を知ることになります。
また、殴られる怖さ、痛みを知ることによって、他人の心・身体の痛みがわかるようになります。それは人に接する”優しさ”を身に付ける事にもつながります。日頃の厳しい稽古を耐え、忍び、努力した結果を、自らが身体で納得することができる。それが実戦空手の最大の魅力といえます。

先にも述べたとおり、空手の技術というのは正しい使い方をしても人を危める事につながります。そのため礼儀作法、上下関係、武道精神の習得が必須となります。そのため道場ではまず技の習得よりも精神、心の強さを身に付けるところから始めます。


押忍の精神。

押忍の精神

武道は”礼に始まり礼に終わる”といわれるように、極真空手でも礼儀作法を重要視しています。極真空手の挨拶「押忍」という言葉には、尊敬、感謝、忍耐という精神があります。

心身を錬磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる極真空手の精神がこの「押忍」という言葉に集約されています。


極真の精神。

頭は低く 目は高く
口謹んで 心広く
孝を原点とし 他を益す

人間形成としての極真カラテ

 「健全な肉体にこそ健全な心はやどる」という。まさに、その通りである。健全な肉体、即ち健康は、我々人間にとって、何ものにもかえがたいものである。ところが、ふだんから健康で、身体的に特に不自由も感じないですむ人々は、そのことをとりたてて意識しないようだ。そして、いざ病気になったり、年をとるにしたがって、健康であるということが、人間にとってどれほど大切なことであるかを、いやおうなく知るのである。
 このことは、精神についても同様である。いいかげんな心の持ち方では、仕事でも勉強も、決してよい結果は生まれない。そして、強い精神力とは、健康な体であってこそ持ち得るのである。この真理を、肝に銘じなければならない。
 とりわけ、現代社会では、肉体にしろ精神にしろ、不健康がまんえんしているといっても過言ではないだろう。我々の周囲には、実に様々な誘惑が待ち受けており、ともすれば、その甘いワナにひっかかり、落とし穴におちていってしまう危険は、まことに大である。そのような無意味で不健康な、悪の誘惑を断固としてはねのけ、やがて来る将来に備えて学問にはげみ、身体を鍛えておくことこそ、今の、そして、これからの青少年にとって、最も大切なことなのである。
 そして、たくましく健全な精神と、どのような苦難にであってもそれを乗り越えてゆけるだけの頑健な肉体を、つくれるもの、それは、現在のところ、極真カラテのほかにはない、そう断言しても、いっこうにさしつかえないと信じる。
 さて、空手を修行しようと思う人は、まず、誰でも、最初はただ、強くなりたい、それだけが動機であり、目的であることであろう。もちろんそれは人間にとって、特に若者にとって、まったく正しい希求である。誰しも弱いものにはあこがれない。皆、強くなりたいという欲求を持っているものだ。しかし、最初は単に空手が強くなりたい(なかには、ただケンカに強くなりたい)その一心で一生懸命練習し、修行にはげんでいても、そのうちに、知らず知らず自分に自信が生まれ、最初の目的など、それほど重要には思えなくなってくる。そして、ついには心も落ち着き、何事に対しても強い忍耐力が生まれ、物事を立派にやりとげるための努力を惜しまないようになるものなのである。
 何故なら空手では、この精神のあり方、心の持ち方を、非常に大切にするからである。だから、空手の真の達人というものは、きわめて健康であり、何物にも負けず、何物にも動じない強い精神力を備え、しかも、円満で穏やかな人柄であるはずである。
 逆にいえば、精神が軟弱で、ねじまがったような者には、苦難の連続ともいえる、厳しい空手の修業をやりとおすことなど、とてもできるはずはないのである。自ら身体をいじめ抜き、すり減らして、しかも目に見えぬ、得にはならぬ修業を、なおもやめようとはせずにやり続ける苦しさは、とても言葉でいい表せるものではない。それを、日々怠ることなく持続する意志、心の迷いを自ら戒め、断ち切る意志は、並たいていのことでは身に着かないだろう。しかし、その強靭な意志ほど、われわれ人間が生きていくために必要なことはないのである。 そのことの、大切さを、空手は、身にしみて教えてくれる。すばらしいことではないか。